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東京地方裁判所 昭和49年(ワ)3112号 判決 1977年12月19日

原告

株式会社藤エンタープライズ

右代表者

内藤賢司

右訴訟代理人

藤本猛

外二名

被告

東京都

右代表者知事

美濃部亮吉

右指定代理人

金岡昭

外一名

主文

原告の請求を棄却する。

訴訟費用は原告の負担とする。

事実

第一  当事者の申立

一  原告

1  被告は原告に対し、金一〇〇〇万円及びこれに対する昭和四九年四月二八日から支払ずみまで年五分の割合による金員の支払をせよ。

2  訴訟費用は被告の負担とする。

3  仮執行の宣言

二  被告

主文と同旨

第二  当事者の主張

一  請求原因

1  原告の建築確認申請

原告は、東京都豊島区長崎五丁目四〇三五番地一ほかの宅地514.70平方メートル上に、鉄筋コンクリート造り、地下一階地上五階塔屋二階建、延床面積1458.37平方メートル(フロア別面積及び断面略図は別紙「原計画」欄記載のとおり。)で、このうち地階には賃貸用の駐車場94.83平方メートル及び同トランクルーム24.57平方メートルを設けた共同住宅を建築すべく、昭和四七年八月その旨の建築確認申請書を豊島区長を経由して(同月二五日受付第九六号)被告に提出し、右申請書は同月二九日被告の建築主事佐藤俊一(被告の首都整備局建築指導部指導第一課長)(以下「佐藤主事」という。)に受理された(同日受付第一一九号)。

ところで、原告は、右申請にかかる建物の設計の一部には、建物の敷地・構造及び建築設備に関する法律並びにこれに基づく命令及び条例の規定に適合しない点及びその適合性について疑義のある点が存在する旨被告の右指導第一課の担当官を介して佐藤主事から指摘されたので、右諸点について確認申請書及び付属図面等の部分的訂正や記入事項の補正等の作業を重ねた結果、同年一〇月中旬ころには右建物の設計は諸法令の基準に適合するに至り、右適合性については佐藤主事もこれを認めていたものである。なお右時点における建築計画(以下単に「原計画」という。)にかかる建物(以下「本件建物」という。)の階数、フロア別・延各面積については、当初の申請書記載のとおりで増減はなかったものである。

2  建築主事の法律上の義務

(一) 憲法二九条は私有財産制度を承認して財産権の不可侵を保障しつつ、その内容は公共の福祉に適合するよう法律をもってこれを定めうるものとしたが、これを建築の分野についてみると、建築主の建築の自由に課せられた公共の福祉上の制限は、建築基準法(以下単に「法」という。)、都市計画法をはじめとする関係諸法令においていわゆる建築基準として法定されているのであるから、建築主は建築しようとしている建物の計画が右関係諸法令の基準に適合している限り、その範囲において当該計画に基づいて建物を建築しうる自由を保有しているのである。従って、当該建築の自由は憲法上の財産権の保障に担保されているものであるから、公権力も最大限度に右自由を尊重しなければならないのであって(憲法九九条)、その具体的現われが法六条三、四項の規定というべきである。

(二) しかして、法六条三、四項によれば、建築主事は同条一項一号ないし三号にかかる建築物についての建築確認の申請書を受理したときには、その受理した日から二一日以内に、申請にかかる建築物の計画が当該建築物の敷地、構造及び建築設備に関する法律並びにこれに基づく命令及び条例の規定に適合するか否かを審査し、審査の結果に基づいてこれらの規定に適合することを確認したときは、その旨を文書をもって当該申請者に通知しなければならず、これに反し申請にかかる計画が右規定に適合しないことを認めたとき又は申請書の記載によってはこれらの規定に適合するかどうかを決定することができない正当な理由があるときは、その理由をつけてその旨を文書をもって同じく二一日以内に当該申請者に通知しなければならない法律上の義務がある。

仮に右法六条三、四項がいわゆる訓示規定であるとしても、建築主事は右のような審査等を経て当該申請者に対し通知をなすに通常要する期間内に所定の通知をなすべき法律上の義務がある。

(三) これを本件についてみるに、当初の申請書が提出されて佐藤主事がこれを受理したのは前記のとおりであるが、同主事の指示に従つて原告が右申請書の訂正・補正の作業を完了したのは遅くとも昭和四七年一〇月二〇日であるから、佐藤主事は右同日原計画による確認申請書を受理したものというべきである。また同主事は同年一一月八日ころには事務的審査を了していたのである。従つて、同主事は遅くとも同月一〇日までに右申請書につき確認処分をなすべき法的義務を負つていたものといわなければならない。

3  佐藤主事の右義務懈怠の違法性

(一) しかるに佐藤主事は、前記法律上の義務を無視し、漫然日時を徒過して原告申請にかかる確認申請書に対する確認処分を遅延せしめた。その経緯は、次のとおりである。

(二) 被告の代表者美濃部亮吉知事は、近年頻発している日照権紛争について付近住民のいわゆる環境権の保護を重視するあまり所属の関係部局の吏員に対し、高層建築物の建築確認処分にあたつては、付近住民から当該建築物の建築阻止方等を被告に陳情してきた場合には極力建築主及び付近住民間の紛争のあつせん、調整をなすよう指示するとともに、右あつせん、調整活動がなされたにもかかわらずなお両者間に合意が成立しない場合には、なんらの法令上の根拠もないのに、住民の最終的同意がえられるまでは確認処分を留保すべしとの指示を発していたのである。

しかるところ、偶々原告の前記建築計画についても付近住民がこれに反対し、被告に対してその建築阻止方につき陳情をなしたので、佐藤主事は右知事の指示に従い、原告に対し同主事の立会いのもと住民側と話し合うよう勧告した。

そこで、昭和四七年一一月中旬ころ住民代表者数名と原告代表者は都庁において佐藤主事臨席下に話し合いを行つたものの、あつせん、調整活動とは名のみで、佐藤主事は本件建物の設計が法令適合性を具有していることを住民側に説明しただけで、爾余は一方的に住民側の意向を聴取し、原告代表者に対して右意向に沿つて設計を変更するよう言い迫るばかりであつたところ、住民側の要求の主要なものの一つは本件建物の北東側外壁の後退距離の増加及びその高さの減少であつたが、原計画における右後退距離及びその高さは当時の関係諸法令の基準に適合していたことはいうまでもない。

かような次第で、佐藤主事段階におけるあつせん、調整活動は功を奏さなかつたため、被告の行政組織中の紛争処理専掌部局である首都整備局建築指導部建築物紛争調整担当主幹室へとあつせん、調整事務が移管され、同室の藤中健治副主幹のもとで同年一二月上旬ころ原告、住民側の紛争のあつせん、調整がなされた。しかし、その実情は以前のそれと大同小異であり、翌四八年一月同副主幹による再度のあつせんも不奏功に終わり、原告と住民側との話し合いは平行線をたどつたまま物別れとなるに至つたため、佐藤主事も確認処分をせぬまま原告の確認申請書を放置し、結局後記のとおり昭和四八年五月一四日ようやく確認処分がなされるに至つたのである。

(三) 以上の次第であつて、佐藤主事は、なんらの法令上の根拠もないのに、原告の原計画に基づく確認申請に対し付近住民の同意を得ることを強要し、その間確認処分をなすべき法的義務を懈怠したものであるが、実質的に建築主たる原告の原計画にかかる建築を不可能ならしめるが如き右行為は法律による行政の原則にもとる違法な不作為であるのみならず、違憲の措置であるといわなければならない。

4  佐藤主事の違法な不作為による結果の発生

(一) 右原計画に対する確認処分が留保されていた間の昭和四八年四月一九日に至り、被告は都市計画法に基づく東京都の都市計画における高度地区の規定内容を変更する旨告示し、即日右告示を施行した。その結果、従前は単に住居地域のみに指定されていた本件建物の敷地の存在する地区は、新たに第二種高度地区に指定されるに至つた。

(二) しかして、原計画によれば、本件建物の北東側外壁の後退距離とその高さはいずれも申請当時の法令に適合していたのであるが、前記の高度地区の規定内容変更の結果、原告は全面的に原計画の設計変更を余儀なくされることとなつた。

他方付近住民は日照確保のうえから後退距離を最大限に増加させるとともに外壁の高さを最少限に縮少することを要求し、佐藤主事をはじめとする被告の関係吏員も右要求に沿うよう原告に勧告したこと前記のとおりであつたので、原告は、これ以上の確認処分の遅延による損害の増加を回避するため、右住民の要求及び被告吏員の勧告をやむなく受け入れ、本件建物の南西側外壁を前面道路から一メートルの地点まで片寄せ、北東側外壁の後退距離を最大限たらしめることとした。

(三) その結果、変更後の建築計画(以下単に「実施計画」という。)に基づき、本件建物は鉄筋コンクリート造り、地上五階塔屋二階共同住宅・延面積1202.86平方メートル(フロア別面積及び断面略図は別紙「実施計画」欄記載のとおり。)に設計変更されて地階を欠くものとなつた。そして、佐藤主事は昭和四八年五月一四日右計画にかかる確認申請書に対し確認処分をなしてその旨原告に通知し、原告は同年六月右計画にかかる建物の建築に着工し翌四九年三月竣工した。

5  原告の被つた損害

右のような確認処分の遅延及び設計変更により、原告は左のとおり合計金一三六二万円の損害を被つた。

(一) 設計変更料(実施計画設計料)

金二〇〇万円

(二) 逸失利益 金三一二万円

原計画においては、建物の南西側外壁と前面道路との距離は5.8メートル確保されていたので、道路から地階までは穏やかな下り勾配となり、地階に駐車場を設置することが可能であつたのに、実施計画においてはその距離がわずか一メートルと変更されたため、道路と地階との間における自動車の直接の出入は物理的に不可能となつたので、原告は地階の建設を断念するに至つたのである。

しかして、原計画における駐車場94.83平方メートル分の相当賃料は月額九万円、同トランクルーム24.57平方メートル分の相当賃料は月額三万円であるが、佐藤主事が適法に確認処分をしていたとすれば、原告は昭和四七年一一月一一日に建築に着工し、翌四八年六月一五日には完工しえたものであるから、同年七月一日から右同額の各賃料を取得することができたはずである。しかるにこれが不可能となつたのであるから、原告は右同日以降同五〇年八月末日までの二六か月分の右各賃料合計額である金三一二万円の損害を被つたこととなる。

(三) 建築工事費の増加額

金八五〇万円

原告が原計画に基づき昭和四八年一月一三日に訴外株式会社中野組との間に締結した請負契約は工事代金一億〇五〇〇万円であつたところ、佐藤主事の建築確認の遅延のため、原告は、同年六月一四日同会社との間であらためて工事代金額を一億一三五〇万円とする請負契約を締結するのやむなきに至つたから、その差額金八五〇万円の損害を被つたものというべきである。

6  被告の責任

佐藤主事は被告の吏員で公権力の行使にあたる公務員であるところ、同人は、原告の申請にかかる原計画の建築確認処分をなすに際し、右申請が法に定める要件を充足していたにもかかわらず、前記のとおり故意又は過失により法六条に定める期間を徒過したのみならず、実質的審査終了後もなおこれを放置して確認処分を遅延させ、その結果、原告は前記の損害を被つたものである。

従つて、国家賠償法一条により、被告は原告に対し右損害を賠償する義務がある。

7  よつて原告は被告に対し、前記損害金一三六二万円の内金一〇〇〇万円及びこれに対する本件不法行為後の昭和四九年四月六日(訴状送達の翌日)から支払ずみまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。<中略>

理由

一原告が東京都豊島区南長崎五丁目四〇三五番地一ほかの宅地514.70平方メートル上に鉄筋コンクリート造の、地下一階地上五階建、延面積1458.37平方メートル(フロア別面積は別紙「原計画」欄記載のとおり。)で、このうち地階には駐車場・トランクルームを設けた共同住宅を建築すべく、昭和四七年八月その旨の建築確認申請を豊島区長を経由して(同月二五日受付第九六号)被告に提出し、右申請書が同月二九日被告の建築主事兼首都整備局建築指導部指導第一課長の佐藤主事に受理され(同日受付第一一九号)たこと、その後原告が同主事の指示により右申請書及び付属図面等の部分訂正や記入事項の補正等を行つたが、本件建物の階数、フロア別・延各面積がいずれも当初の申請書記載のとおりであつたこと、以上の各事実は当事者間に争いがない。

ところで、建築基準法六条一項、三項、四項によれば、佐藤主事は、本件の建築確認申請につきその建築計画が同条三項にいう法令の規定に適合するか否かを審査し、右計画が右規定に適合することを確認したとき、又は右規定に適合しないことを認めたとき、あるいは右申請書の記載によつては右規定に適合するかどうかを決定することができない正当な理由があるときには、いずれも申請書を受理した日から二一日以内(本件建物は同条一項一号に該当する。)にその旨を文書をもつて申請者たる原告に通知しなければならないものであるところ本件のように申請書が一旦建築主事に受理された後に、申請者がこれに部分的訂正・補正を加えたような場合には、右条項における期間の起算日を右訂正・補正が完了した日とすべきことは原告の自認するところである。そこで本件についてこれをみるに、<証拠>によれば、原告の申請書が受理された昭和四七年八月から二、三か月の間に六、七回にわたり防火関係・駐車場・道路関係に関する細かな訂正が行われたことが認められ、また<証拠>によれば、被告における建築確認手続は、申請書受理後一般的審査を経て、建物構造・設備等の審査と併行して駐車場設備に関し警視庁に道路交通上の判断を求め、又消防庁の同意をも得てから、建築主事が適法性を確認した場合にはじめて建築主に対しその旨の通知をするという順序でなされるものであること、本件について警視庁の「交通上支障なし」との判断が得られたのは昭和四七年一〇月三日であること、消防庁の同意は同年一一月八日に得られたことが認められ、<る。>以上の事実に、佐藤主事ら被告側が原計画にかかる申請書の事務的審査を終了したのが早くとも同年一一月八日であるという当事者間に争いのない事実を加えて判断すれば、原告の申請書の最終訂正・補正は遅くとも同年一一月八日には終了していたものと推認するのが相当である。尤も、<証拠>中には「一〇月三日訂正了」との記載部分があるが、右訂正が最終的なものを指すか否かは不明であるから、右部分は結局前認定を妨げるものとはいい難い。

しかして、<証拠>によれば、佐藤主事は昭和四七年一一月一五日原告と付近住民との協議の席上原計画の法適合性を肯定していたことが認められ、他に右認定を左右する証拠はないところ、前認定にかかる同年一一月八日から二一日以内に同主事が原計画について建築確認処分をしその旨の通知をしなかつたことは当事者間に争いがないから、同主事の右不作為は一応法六条三項に牴触するものというべきである。

しかしながら、同条項に違反する不作為が直ちに民事法上違法性を帯有するか否かについては、同条項の規定が設けられた趣旨のみならず法の立法趣旨・目的等をも総合して更に検討を要するものというべきであるから、以下この点について判断する。

二法(建築基準法)は、建築物の敷地・構造・設備及び用途に関する最低の基準を定めて、国民の生命・健康及び財産の保護を図り、もつて公共の福祉の増進に資することをその目的とし(一条)、そのために種々の制限を課し、建築主が一定の建築をなすにあたつては予めその建築計画が法の制限の範囲内のものであるか否かにつき建築主事の審査及び確認を受けることを罰則をもつて義務付けている(九九条一項二号、六条一項)のであるから、建築主事の建築確認処分の運用如何によつては国民の財産権に対する侵害をも惹起する虞があることは否み難いものである。法六条三、四項において建築主事が申請書を受理してから七日又は二一日以内という具体的な期間を明示して一定の処分をしその旨の通知を建築主に対して行うよう規定しているのも右の点を配慮し、確認申請に対する迅速な応答を目的とした趣旨と考えられるから、建築主事は他に特段の事由なき限り右の期間を遵守しなければならないことはいうまでもない。しかしながら、前記のとおり法は国民の生命等の保護を図るための最低基準を定め、新たな建築についてはその計画が右基準による制限を遵守しているか否かの審査を建築主事に委ねているのであるから、建築主事はその審査をなすにあたつては右の点に深く留意して慎重にこれをなすべきであつて、徒に機械的処理に任せるべきではない。従つて、建築主事は右審査の目的を達成するうえで、当該建築物の規模・構造・設備等及び建築主事が現に審査中の他の申請書の件数等によつては、その事務処理能力に照らして法が通常予想する期間を超える期間をその審査に要し、その結果法六条三、四項に定める通知を同項所定の期間内に発することができない場合も存在することは明らかというべく(法制定当時と現在とでは建築数、建築技術の高度化・専門化等の面で著しい事情の変更があることは裁判所に顕著である。)、このような場合にはそれが法六条三、四項所定の期間を超えたとの一事をもつて当然に違法であるとは断じえないものであり、従つて右条項はいわゆる訓示規定たる性格を有するものというべきである。

ところで法の課す制限は、いわゆる単体規制についてのもののみならずいわゆる集団規制についてのものも数多く存在する(例えば建築物の用途に関する四八条ないし五一条等)ことに鑑みると、建築主事は、その審査及び確認処分に際し、建築主等当該申請にかかる建築物の安全性等につき直接の利害を有する者の生命・健康及び財産についてのみならず、当該建築物を含む都市の生活環境の維持・向上といういわば公共的要請についても配意することが求められているのである。従つて、建築主事が建築確認申請書を受理した場合、その建築計画における建築予定地の付近住民等から、右計画によれば同人らの生命・健康及び財産等に対する重大な侵害が加えられ、ひいては当該地域の生活環境を著しく悪化させる蓋然性が高いとして建築主側との協議のあつせん等を求められたときには、行政指導の一環として申請にかかる建築計画の変更等について建築主の意向を打診するのみならず付近住民との協議を勧告し、かつまた必要があればみずから若しくは適切な機関によるあつせん・調整活動を推進するのは当を得た措置というべきである。もとより右は行政指導である以上、あくまでも建築主及び付近住民双方においてその協議・あつせんに応じ互いになんらかの譲歩をする意思があると認められる場合に、通常建築主事が当該申請書の審査手続に要する期間の範囲内においてなされるべきであるから、付近住民の同意を審査・確認処分の条件とするなどしてその協議及び同意を強要するが如きことは許されるべくもないのであつて、建築主事はその間併行して申請書の審査手続を行うべきであることはいうまでもない。

尤も、建築主事が申請にかかる建築計画が法の定める最低基準による制限内にあるとして確認処分をなしうる状態に至つたときには、建築主に対しその旨の通知をなすべきであるが、その場合においても、右建築計画に基づいて建築がなされたときには当該地域の生活環境を著しく悪化させる虞があるとして、建築主事がなお確認処分を留保することが許されるか否かにつき、原告は、個々の救済はすべて裁判所の事後的・個別的救済によるべきであつて、明文の規定もないのに建築主事に右のような留保権限を認めるのはひつきようその立法作用を許容するに等しい旨主張する。なるほど、特に明文の規定もないのに事前救済の一方法として全て建築主事にその調整等を委ねることは、建築主事に事実上の立法的権限を付与することにつながつて法の趣旨にもとるのではないかとの疑問もありえよう。しかしながら、裁判所による事後的救済は主として個々人の私的損害に対するものであり、かつその救済も結局のところ既に完成し又は完成途上の建築物の一部除却が困難なことから往々にして金銭的解決による場合が多いのである(なお裁判所によるいわば事前の救済ともいいうる建築禁止又は工事続行禁止の仮処分についてみても、その性格は右に述べたところと径庭はなく、かつまた紛争自体の迅速かつ適正な解決という面からしても有効な救済方法といいうるかについて問題がない訳ではない。)から、右の如く個々人の権利義務に関する争訟について専ら事後救済を図る使命を担う裁判所に対し、都市の生活環境の維持・向上という公共的要請の迅速かつ適正な実現までを強く期待することには限界があるといわなければならない。

ところで、憲法の保障する財産権の内容は公共の福祉に適合するように法律でこれを定めるべきであるところ、前記のとおり法は国民の生命・健康及び財産の保護を図りもつて公共の福祉の増進に資することをその目的とし、その目的達成のため建築物の敷地・構造・設備及び用途に関する最低の基準を定め、その遵守の事前審査を建築主事に委ねているのであるから、右に述べた法の目的、規定内容等に照らすと、たとえ法六条三項の期間又は通常審査に要する期間満了時に建築主事において当該申請にかかる建築計画が法の具体的に列挙する制限内のものであると認める場合においても、右のような公共的要請の実現のため建築主事が申請書の審査期間中から行政指導の一環として紛争当事者間の任意に基づく協議のあつせん等を行い、当該建築計画をめぐつて建築主側と付近住民との間で当該地域の生活環境の維持・向上について現に協議が進行しているなど、その時点において確認処分をすることがかえつて法の目的及び建築主事による建築確認制度の趣旨にそぐわないものであり、かつ社会通念上合理的と認められる期間内なお右協議の進行を図ることが以上のような目的及び趣旨に照らして明らかに必要かつ相当と認められる特別な事由が存する場合には、建築主事がなお確認処分を留保して双方の協議のあつせん活動等を行うことは、双方の合意が成立しないことが明らかとなつたときには速やかに確認処分を行う限り(従つて一律に付近住民の同意を確認処分の条件とすることは許されないのであつて、このことは誠実交渉を旨とする念書の差入れの有無にかかわるものではない。)、民事法上違法な不作為とは断じ難いものというべきである。

以上のような見地に立つて、本件における確認処分の遅延の違法性について検討することとする。

三原告が昭和四七年八月豊島区長を経由して被告の建築主事宛に建築確認申請書を提出したことは前記のとおりであるところ、<証拠>を総合すると、次の各事実が認められる。即ち、

原告の申請にかかる建築予定地の付近住民は同月二八日原告に対し日照阻害等を理由にその設計変更及び損害賠償を求めたが、原告はこれに対し同月三一日右住民らに対し右申出を拒絶する旨回答したので、住民らは、同年九月五日に被告代表者知事に対し原告との間で前記申請にかかる建築計画について協議中のため協議成立に至るまでその建築確認処分をしないよう要望するとともに、被告に対して陳情をなすに至つた。そこで、右陳情内容を聞かされて被告庁舎を訪ねた原告代表者に対し、佐藤主事らが行政指導の一環として付近住民との話し合いを勧め同主事らも尽力する旨述べたところ、それ以前に住民側との話し合いを行つていた原告代表者は、建築確認申請書提出に際し被告代表者宛に近隣関係者と誠意をもつて交渉し善意の解決をするよう努力する旨の念書を提出していたことに加え、住民側の要求が一方的なとりやめ要求に近いものであつたことを考慮し、ことを穏便に解決することを希望して右の勧告を受けいれた。そこで、佐藤主事ら被告側では建築確認申請書の審査を併行してすすめていた(前認定のとおり同年一〇月三日には警視庁から「交通上支障がない」旨の意見を得、同年一一月八日には消防関係の同意も得るに至つた。)が、その間原告は付近住民の代表者らと交渉はしたものの話し合いは進渉せず、そのため付近住民は同年一一月一日及び六日の二度にわたり被告の建築指導部へあつせん方を依頼するに至り、原告側も話し合いが進展しない旨佐藤主事に連絡するとともに、前後して幾度となく確認処分をするよう要望した。そこで、同主事も積極的なあつせん・調整に乗り出すことになり、前認定のとおり申請書の事務的審査の終了した後である同年一一月一五日原告代表者及び住民側の代表を被告庁舎に招き双方の意見を聴取したところ、本件建物の敷地は当時住居地域の容積三種地域であつたため、建築をなすについての都市計画上の制限は専ら容積率上のそれにとどまり高度制限は隣地境界線で二〇メートル以内となつていたにすぎなかつたが、関連諸法令の改正等に伴い本件建物の敷地付近が翌年から第二種高度地区に指定され従つて高度制限が厳しくなる予定であつたため、住民側は原計画に対しこれを予定されていた第二種高度地区の制限内に改めるよう述べ、他方原告側は原計画中の五階部分及び塔屋部分の若干の縮少程度なら応ずる旨述べて、結局その場の交渉は物別れとなつた。そこで、佐藤主事は原告代表者に対し、譲歩しうる範囲内の具体案を作成するよう求めた。その後この紛争のあつせん・調整は被告側の行政組織上の都合により建築指導部の建築物紛争調整担当主幹室の藤中副主幹が担当することとなり、同副主幹のもとで同年一二月二六日再度原告代表者と付近住民代表者が会合した。その席上原告側は、①地階部分を廃止し高さを一メートル低くする、②塔屋を3.1メートル下げる、③屋上に出れるのをやめる、④一階の一戸分を通路に変更する、との譲歩案を提出したが、住民側はこれを容れず、藤中副主幹は当事者双方に再度の譲歩を求めた。そして翌四八年一月一八日同副主幹のもとで再び双方代表者の話し合いが行われ、この席上原告側は、前記四点に加えて、⑤五階北側一戸分を削る(その結果容積率は225.6パーセントとなる。)、⑥変電室については検討の余地がある、との最終案を提示した。これに対し住民側はその回答を留保したので、藤中副主幹は同月二五日までにその回答をするよう求めた。ところが同月二五日住民代表は同副主幹に対し、住民側で話し合いがつかないので同月二七日までに回答する旨述べ、同月二七日には容積率は二〇〇パーセントとし、かつ近々実施予定の第二種高度地区の基準以内の高度による案程度でなければ妥結できない旨回答した。そこで藤中副主幹は住民側に対し、原告側の案は最終案でありこれ以上のあつせん・調整は不可能であるので、従前の交渉経緯をも斟酌して被告側(の建築主事)は最終的な結論を出す予定である旨述べ、同日原告代表者に対しても住民側の右回答を伝えるとともに、被告(の建築主事)は原告の前記最終案による計画について確認処分をすることになるから、その設計変更の準備、具体的には図面の差替えをするよう連絡した。そして同年二月はじめに被告の建築指導部の紛争調整会議において原告の右最終案による申請について建築確認をすべしとする結論が出たが、原告側が図面差替えのため従前の申請書添付の図面を被告庁舎に取りにきたのは同月一三日のことであつた(同月一三日に原告側が図面を取りにきたことは当事者間に争いがない。)。ところが同月一五日、被告は建築物の高度制限に関する告示案を発表して同日からその案にそつた行政指導を開始したため、同日までに図面差替えが行われなかつた原告の前記最終案についても右告示案に牴触することとなつた。そこで原告は原計画(右最終案により修正されたものを含む。)による建設を断念するのやむなきに至り、同年四月一六日右告示案にそつた新計画(実施計画)につき付近住民と仮協定を結び、被告に提出してあつた申請書も右実施計画に合わせて訂正したので、佐藤主事はこれを審査のうえ同年五月一四日確認処分をなすに至つた(右同日に同主事が確認処分をしたことは当事者間に争いがない。)。

以上の各事実が認められ、<る。>

四以上認定の事実関係によれば、佐藤主事ら被告側は建築確認申請書受領後付近住民からの強い要請もあつて、右申請書の審査と併行して昭和四七年九月以降原告と住民間の話し合いのための調整活動を行い、殊に同年一一月一五日以降は具体的なあつせんに乗り出したものであり、原告側は佐藤主事らの勧告を一応受けいれて住民との折衝を重ねつつ同主事に対し確認処分をするよう要請していたというのであるから、原告の付近住民との協議は同主事ら被告側の行政指導に従わせられていたような側面を有していたことは否めないものの、当初から原告代表者もことを穏便に解決したいと希望しており、そのために被告側の勧告に従つて幾度か譲歩交渉を住民側に提示するに至つていることからみて、原告としても一応は任意に右行政指導に従つて付近住民との間の協議により事態の円満解決を図る意図を有していたものと推認するのが相当である。尤も、<証拠>によれば、佐藤主事らには、住民の同意がなければ確認処分は出さないとの趣旨にとれるような言葉があつたことが窺える部分があるが、昭和四八年一月から二月にかけての原・被告側(主として藤中副主幹)の対応に関する前認定事実に徴すると、右言動は措辞穏当を欠くものがあるとはいえ、その趣旨とするところはあくまで建築主側と住民側との協議の進捗を図りもつて法の目的・趣旨の実現を図ることにあり、他方原告側も不満ながらも譲歩しうる案を提示していたものと推認できるから、前記<証拠>は前認定と牴触するものとはいえず、他に前認定を左右するに足りる証拠はない。

そして、以上の判示事実によれば、原告の原計画は、当時の主として容積率の制限を主眼とする諸法令の基準には適合していたものの、都市の生活環境の一層の維持・向上を図るべく近く施行が予定されていた建築物の高度制限を主眼とした法令の新制限には牴触するものであつたこともあつて、昭和四七年一一月当時佐藤主事らは本格的あつせん活動に入り、同月一五日には建築主たる原告側と付近住民側との右あつせんに基づく第一回の協議が行われ、同主事らが双方に対し、殊に建築主たる原告に対し可能な譲歩を要請し、更に同年一二月二六日に第二回の、翌四八年一月一八日には第三回の協議がもたれ、原告側が相当の譲歩案を提示するに至つたのであるから、右事実関係に徴すると、同四七年一一月末当時には双方の譲歩案の提示が未だ尽されていない状態にあつて、しかも行政指導に基づく当事者双方の一応任意に基づくと認められる協議が現に進行していたのである。そして以上の如き経緯に鑑みると、その協議を更に煮つめることにより建築主たる原告側にある程度の譲歩を期待することができ、その譲歩案にそつて原計画を修正すればその地域の生活環境の維持・向上に資することとなることが明らかな状況にあつたものと推認されるのである。

そうだとすると、本件申請書について法六条三項所定の期間が到来した昭和四七年一一月末の時点で、佐藤主事が単に技術的・事務的審査が終了したことを理由に確認処分をすることはかえつて法の趣旨・目的にそぐわない場合にあたるものというべきである。

更に、前記認定事実によれば、その後の約五〇日間に原告と住民側とは二回協議を行つたが、原告側の最終譲歩案に対し住民側はその一〇日後に最終的にこれに応じない態度を表明したため、被告側は直ちに原告に対し原告の最終案により確認処分をすることになるからその準備をするよう通告し、内部的にも図面等の差替えのあり次第佐藤主事が建築確認をなしうる態勢にあつたのであるから、右事実関係に徴すると、被告側もかたくなに付近住民の同意を確認処分の要件としていたものではないと推認すべきである。他方、前認定のとおり原告が被告側からの図面差替えの求めに応じて被告から図面の返還を受けたことに照らすと、同年一月一八日以降原告も原計画ではなく右最終譲歩案をもつ原告の申請内容とする意図を有していたものと推認するのが相当であつて、他に右認定を左右するに足りる証拠はない。

五上来判示の諸点を総合して考察すれば、佐藤主事は、原計画に基づく建築が行われた場合には、近く施行予定の法令によつて保護しようとする周囲の生活環境に対する侵害が認められるため、前叙の如き法の趣旨等も考慮のうえ、昭和四七年一一月末以降も原計画についての確認処分を留保して原告と付近住民との間の任意に基づく協議のあつせんを行つたが、約六〇日後に両者の合意が得られぬことが明らかとなつたので、直ちに確認処分をなしうる態勢をとつたものであると認められるから、以上の如き遅延の事情やその期間等に照らすと、同主事が原計画の確認処分を遅延したことは、未だ民事法上違法な不作為とは断じ難い場合にあたるものと解するのが相当である。

尤も、前認定のとおり、被告は昭和四八年二月一五日建築物の高度規制に関する告示案を発表し、同日以降は右案にそつた行政指導を開始し、同年四月一九日には右規制が告示され即日施行されるに至つた(告示・施行の事実は当事者間に争いがない。)ため、結局原告は前記最終案によるも確認処分を得られなくなり、そのため後に実施計画に基づく申請に変更するのやむなきに至つたのであるが、<証拠>によれば、右告示案の内容については昭和四七年ころから各区においてその説明会が行われていたこと、同四八年一月末には右告示案の内容にそつた行政指導が同年二月中にも行われる旨一般に報道されていたことが認められるから、右事実によれば、原告代表者もまた遅くとも同年一月末ころまでには同年二月中に右告示案の内容にそつた行政指導が行われること、従つてその内容に牴触する原告の最終案すらも確認処分を得られなくなる虞があることを知り又は知りうべきものであつたと推認できる。そして、被告側から原告代表者に対し、原告の最終案で確認処分を行う予定であるから右案にそつて図面等を差替えるよう求めたのが同年一月二七日のことであることは前認定のとおりであるから、前記告示案による行政指導開始までになお約二〇日間の余裕があつたものであるが、<証拠>によれば、右のような差替えのなされる場合には、便宜従前の図面に赤線を引くなどの簡易な方法をとることが認められており、それによれば原計画添付の図面を用いて最終案にそつた図面に訂正するのに二、三日を要するにすぎないことが認められる。以上のとおり、原告は近々前記告示案にそつた行政指導が開始されることを知り又は知りうべき状況にありながら、被告から図面差替えによる確認処分がなされる予定を聞かされたときから二週間余の後である同年二月一三日になつてようやく差替え準備のため被告庁舎に赴き、被告から原計画添付図面の返還を受けたため、前記告示案にそつた行政指導が開始された同月一五日までに右の差替えを了することができなかつたのである。従つて、右同日以降右告示案の基準に牴触する原告の最終案に対してこれを確認処分の対象とすることはできないとして被告側が同日以前の態度を変更したこと、及びその結果原告がその最終案によるも確認処分を受けられぬ間に前記告示が施行され、原告が実施計画への変更を図るのやむなきに至つたことをも合わせ考察しても、未だ佐藤主事の前記確認処分の遅延について違法性があると認めることはできない。

六叙上の次第で、佐藤主事の原計画に対する確認処分の遅延はこれをもつて未だ民事訴訟法上違法とはいい難いから、その余の争点について判断するまでもなく原告の請求は理由なきことに帰着する。

よつて原告の請求を棄却することとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法八九条を適用して、主文のとおり判決する。

(小谷卓男 飯田敏彦 佐藤陽一)

別紙<省略>

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